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トコジラミ被害を未然に防ぐ。キヤノンMJがスタートアップ企業と共に挑む「安心・安全な旅行」の実現とは

2025年6月10日

未来への種

近年、メディアでよく話題になる「トコジラミ」。インバウンド回復などにより人の移動が活発化し、日本国内でもトコジラミ被害が増加しています。ホテルなどの宿泊業にとっては、一度発生すると駆除が大変なだけでなく、ブランドイメージの棄損にもつながりかねない深刻な問題です。

こうした課題に対し独自のソリューションで挑んでいるのが、フィンランド発のスタートアップ企業「Valpas Enterprises Oy(以下、Valpas)」。薬剤を使わずにトコジラミを捕獲する新発想のデバイスは、欧州を中心に各国のホテルで導入が進んでいます。キヤノンマーケティングジャパン(以下、キヤノンMJ)はValpas(ヴァルパス)に出資・協業し、このソリューションを日本市場に展開することで、「安心・安全でサステナブルな旅行体験」を実現することを目指しています。

キヤノンMJはなぜValpasへの出資を決意したのか。その理由と経緯、またスタートアップ企業との共創による社会課題の解決や事業創出にかける想いについて、R&B推進本部でValpasを担当する阿部 龍生さんと臼井 日向子さん、そして投資戦略を担当する三宅 了太さんに話を聞きました。

ホテル業界を悩ませるトコジラミ問題。世界が注目する、画期的な予防ソリューションとは?

最近、トコジラミに関するニュースをよく目にします。どのような害虫で、どのような被害を引き起こすのでしょうか?

キヤノンマーケティングジャパン R&B推進本部 臼井 日向子

臼井:トコジラミは成虫で5~8ミリ程度で、日中はベッドや家具の隙間に潜み、夜になると吸血のため、人の呼気に反応して人に寄ってきます。刺されるとかゆみが非常に強く、眠ることもできないほどで、精神的な苦痛も大きいといわれています。

ある製薬会社の調査によると、日本における2024年上半期のトコジラミ被害に関する相談件数は前年比4倍以上に増加しました。背景には、コロナ禍の収束で人の移動が活発になり、訪日外国人旅行者の数が激増していることがあります。一般的に、トコジラミは旅行者の荷物にくっついてホテルに持ち込まれることが多いです。そして、そのホテルに泊まった人が吸血されたり、さらに荷物と一緒に自宅に持ち帰ってしまったりすることで、被害が拡大しています。

また、薬剤耐性を持つ「スーパートコジラミ」の出現も、問題を深刻化させている要因の一つです。トコジラミはもともと薬剤に強いのですが、駆除のために強い薬を使うほど、それに耐えるさらに強い個体が生まれてしまうという悪循環が起きています。

どんなに清潔なホテルでも、トコジラミが持ち込まれるリスクはゼロではありません。宿泊施設でトコジラミが発生すると、専門業者による駆除が必要になり、その客室は長期間使えなくなります。費用がかさむだけでなく、「トコジラミ被害が発生したホテル」という評判が一度SNSなどで広まってしまえば、ブランドイメージも大きな損失を被り、信頼回復は容易ではありません。

従来のトコジラミ対策は、どのようなものなのですか?

臼井:ほとんどが、被害発生後に殺虫剤や熱処理を使う方法です。予防として噴霧式の薬剤を使うこともありますが、完全に防げるわけではありません。薬剤は人体や環境への影響も懸念されますし、建物自体にダメージを与える可能性もあります。

Valpasが提供する、ベッドや布団の枕元に設置するトコジラミ誘引・捕獲デバイス(左)。独自の認証制度も行っている(右) 

キヤノンMJが出資する「Valpas」が提供するトコジラミ対策ソリューションは、従来の方法とどう違うのでしょうか?

臼井:Valpasが開発したのは、特許も取得している独自のデバイスを用いてトコジラミを捕獲するソリューションです。トコジラミが好む素材でコーティングされたデバイスをベッドの枕側に取り付け、トコジラミをおびき寄せます。このデバイスは、内部に入ったトコジラミが出られない構造になっており、捕獲すると専用アプリにリアルタイムで通知が届きます。薬剤を一切使わず、人の呼気に誘引されるトコジラミの習性を利用した仕組みです。

また、Valpasは独自の認証制度である“Bed Bug Safeラベル認証”も設けています。この装置を導入しているホテルは「トコジラミ対策済みの安全な施設」として認証を受けることができ、宿泊施設のイメージアップにもつなげることができるのです。

現在、世界40以上の都市で300以上のホテルに導入されていて、デバイスが設置されたベッド数は4万台超です。日本でも複数のホテルで導入されており、今後もさらに広がっていく見込みです。

キヤノンMJがトコジラミ対策を支援する理由。「安心・安全な旅行体験」実現への挑戦

なぜ、キヤノンMJが「トコジラミ」の課題解決に取り組むValpasに出資したのでしょうか? 

三宅:キヤノンMJは、未来志向で社会課題を捉え、その解決を目指す新しい事業の創出に取り組んでいます。その中心となるのが、「R&B(Research & Business Development)活動」です。社員の「WILL」=「こういう社会課題を解決したい」という想いを起点に、実現したい未来の世界観を描き、そこから既存事業にとらわれない新たな領域の事業を構想します。

R&B全体の事業構想は、AI、ヘルスケア、地方創生など多岐にわたりますが、観光もその一つです。「安心・安全でサステナブルな旅行・観光体験を実現したい」という想いのもと、旅行客が旅に行きたいと思うきっかけから予約、滞在、帰宅後までの流れを一つの顧客体験として捉え、その中で課題となる点を解決するサービスや方法を検討してきました。

トコジラミ問題は、まさに「旅の安心・安全」を脅かす大きな課題。Valpasの技術は、「安心・安全でサステナブルな旅行体験」の質を高める重要なピースになります。そこで、キヤノンMJのCVCである「Canon Marketing Japan MIRAI Fund(以下、Canon MJ MIRAI Fund)」として出資を行うとともに、私たちキヤノンMJの強みも生かし、共創による課題解決を実現していきたいと考えました。

キヤノンマーケティングジャパン R&B推進本部 阿部 龍生

具体的には、どのように共創を進めていこうと考えていますか?

阿部:まずは、私たちが持つホテル業界とのネットワークを活用し、このソリューションを日本で広げていくことを目標としています。

日本のホテル業界は歴史が長く、運営方法が確立されているため、新しいツールを導入することには慎重になりがちです。しかし、トコジラミという新たな脅威に対してすでに国外で実績があるValpasのソリューションを、日本国内でのビジネス経験豊富なキヤノンMJが支援すれば、スムーズな導入が実現できると考えました。

最初はPoC(実証実験)としてホテル業界のお客さまにValpasのデバイスを実際に使っていただき、フィードバックをいただきながら国内展開していきます。徐々に認知度を高めて導入施設を増やし、将来的にはこのデバイスがホテルに設置されているのが当たり前になることを目指しています。

臼井:2025年2月に開催されたホテル関連の展示会ではブースを出展し、Valpasのソリューションを紹介しました。「トコジラミ」というキーワードで事前に調べて来場された方も多く、「なぜキヤノンMJが?」という驚きとともに、非常に高い関心を持っていただけました。これをきっかけに、複数のホテルとの商談も進んでいます。

マニュアルやアプリの日本語版制作など、サービスのローカライズも私たちが行っています。単に翻訳するだけでなく、日本のホテル業界に伝わる表現になるよう、Valpasの技術担当者と密に連携しながら調整しています。

阿部:そうした展開と並行して、Valpasのデバイスやアプリに機能を追加し、ホテル業務をより効率化する、次なる構想にも着手していきたいと考えています。また、ホテル経営を支援するソリューションを展開しているグループ会社のキヤノンITソリューションズとの連携も検討中です。

  • CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)=事業会社において、自社の資金でベンチャー企業などに出資・支援する組織のこと

Valpas CEO マーティン・ゴイス氏に聞く

ValpasのCEO、マーティン・ゴイス氏

Valpasは2017年に立ち上げた、現在従業員15名程度のスタートアップ企業です。われわれは殺虫剤などの薬剤を使わない「トコジラミセーフ」な宿泊を、ホテル業界における新たな世界標準にすることをミッションに事業を展開しています。Valpasのプラットフォームは、特許取得済みの捕獲デバイスでゲストをトコジラミの被害から守ると同時に、その安全性を証明するデジタル認証をホテル側に提供します。

このトコジラミ捕獲デバイス開発のきっかけは、実は私自身の体験です。私は旅行中に知らず知らずのうちにトコジラミを家に持ち帰ってしまい、深刻な被害を受けました。このとき、旅行者を守る効果的な対策が世の中に存在しないことに気づき、自らこの課題を解決しようとValpasを立ち上げました。

そして2024年に実施した資金調達で「Canon MJ MIRAI Fund」から出資いただいたことをきっかけに、キヤノンMJとの共創が始まりました。出合った当初から、ホテル業界における革新性、安全性、持続可能性といったビジョンを共有できていました。まずは日本やアジア市場への展開を進め、さらにはキヤノンMJの強みと組み合せながら、ホテル業界により多くの価値を共に生み出していくことを目指します。

長期的なビジョンとしては、キヤノンMJの専門知識や顧客基盤を生かし、2030年までに全世界で200万のホテルのベッドにデバイスを導入したいと考えています。この共創が、ホテル業界における「駆除から予防へ」という意識の変化を促し、より持続可能で安心できる旅の未来を実現できると信じています。

投資ありきではなく、「社会課題解決」を起点に新事業をつくり出す

Valpasへの出資の主体となった「Canon MJ MIRAI Fund」や、その前提となるキヤノンMJの「R&B活動」について、もう少し詳しく教えてください。

三宅:「R&B活動」の「R」は「Research」の意味で、スタートアップ企業や教育機関、行政機関と連携し、技術やアイデアを探すことを指します。また「B」は「Business Development」で、キヤノンMJグループの資産やノウハウ、ネットワークなどを活用し、ビジネスの創出を推進することを意味します。阿部や臼井が所属する「BizDevセンター」は、この二つの機能を一体化し、未来の社会課題解決につながる新しい事業を生み出す専門チームです。

R&Bのオープンイノベーションのネットワークとチャレンジ。スタートアップ企業や教育機関、行政機関などと連携し、CVC以外にもアクセラレーションプログラムによるスタートアップ企業支援、産学連携プロジェクト参画などを行っている

一般的に「R&D(研究開発)」部門を持つ企業は多いですが、キヤノンMJがあえて「R&D」ではなく「R&B」と掲げる背景には、技術開発ありきではなく、「◯◯に関する社会課題を解決したい」という社員の「WILL」のもと、信念を持って事業開発を進めることが大事であるといった考えがあります。

R&B活動の一つである「Canon MJ MIRAI Fund」においても、単なる投資ではなく「社会問題の解決を、同じ志を持つスタートアップ企業と共に実現する」ことを目指しています。成長可能性の高いスタートアップ企業に投資してから、どのような事業開発を行うか検討するといった一般的なCVCの形ではなく、自分たちが解決したい社会課題に対し、その解決につながる優れた技術と志を持つスタートアップ企業と出合い、事業を共創していくアプローチを取っているんです。現在、Valpas以外にも、さまざまなスタートアップ企業との共創を進めています。

  • WE ATのロゴは、一般社団法人WE ATと国立大学法人東京大学が共同で保有する登録商標です
キヤノンマーケティングジャパン R&B推進本部 三宅 了太

― スタートアップ企業側から見たキヤノンMJの魅力は何だとお考えですか?

三宅:
大きく三つあると考えています。一つ目は、新しい価値を「生み出す力」。これは、キヤノンMJがマーケティング企業として長年培ってきた市場理解力を生かし、スタートアップ企業の持つ優れた技術やアイデアを市場ニーズと組み合せ、新たな価値を創造する力です。二つ目は「つなげる力」。キヤノンMJグループの多種多様な企業やパートナーとの幅広いネットワークを活用し、それらとつなげ、組み合せることで事業の可能性をより大きくすることができます。そして三つ目は「共に成長する力」。われわれのマーケティング力や全国規模の販売ルート、サポート体制を活用し、共に事業を成長させていくことができます。

阿部:こうした取り組みを、スピード感を持って実行できる点も私たちの強みですね。例えば、社内に大規模な研究開発部門を持つ企業の場合、スタートアップ企業との共創を進める際にはその部門の許可が必要になることが多く、判断に時間がかかるケースもあります。一方、キヤノンMJのR&B活動ではそういったしがらみがなく、最初の面談からすぐに事業に関する具体的な話ができる。そうしてスタートアップ企業のスピード感に寄り添って伴走できることも、共創パートナーにとっての大きなメリットだと思います。

スタートアップ企業との理想的な関係が、持続可能な社会を実現する「未来の種」を育てていく

最後に、R&B活動やCVCの今後の展望や意気込みを教えてください。

未来への種

三宅:スタートアップ企業を支援し、その成長を後押ししていくことは、社会全体にとって重要なことだと考えています。共創によってこれまでにない技術やビジネスを生み出し、われわれの持つネットワークなどを活用してより広く展開していくことで、やがて社会の価値観が変わり、さらなる課題解決につながっていく。R&B活動を通して、そうした潮流を生み出す一助となれれば非常に嬉しく思います。

臼井:Valpasのチームと接していると、学ぶことが本当に多いです。メンバー一人ひとりが非常にプロフェッショナルで意思決定のスピードも早く、何より最初から世界市場を見据えて事業を構想しています。日本ではまだ国内市場を前提とする傾向が強いですが、私たちもよりグローバルな視点でマーケティングや事業開発を進めていくべきだと感じています。そうした学びを単なる気づきで終わらせず、社内の仕組みや人材育成につなげていくことが今後の課題であり、挑戦だとも考えています。

阿部:この「R&B活動」という取り組みを、今後も積極的に発信していきたいと思っています。私たちの活動や実績を知ってもらうことで、より信頼を高め、志を共にする優れたスタートアップ企業との出合いが自然と集まる流れを作りたいですね。そのためにも、良いパートナーを見極める力や実行力を高めて、より確かな価値を提供できる存在になっていきたいです。


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