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人は誰でも主役になれる。「超人スポーツ」が問う、ミライのスポーツの形

2025年12月9日

気に拓く未来

近年、スポーツの在り方が大きく変化しています。テクノロジーの進化に伴い、eスポーツをはじめとする新領域のスポーツが誕生し、「身体能力を競う」だけに留まらない多様な参加の形が広がっています。

そうした中、スポーツにテクノロジーを組み合わせ、「誰もが主役になれる」新たなスポーツを創出しているのが「超人スポーツ」プロジェクト。

超人スポーツの提唱者であり、テクノロジーを通じて人間の限界を広げる「人間拡張工学」の第一人者である東京大学 先端科学技術研究センター・教授の稲見 昌彦さんは、「超人スポーツによって人の能力や可能性に対する捉え方が大きく変わる」と、その魅力を語ります。

稲見さんが描く、未来のスポーツ、そして社会とはいったいどのようなものなのか、お話を伺いました。

誰もが「超人」になれるスポーツとは

東京大学 先端科学技術研究センター 教授 稲見 昌彦さん

まずは稲見さんが提唱されている「超人スポーツ」とはどのようなものなのか、教えてください。

超人スポーツとは、人と機械が一体となる“人機一体”によって人間の身体能力を拡張し、年齢、性別、障がいの有無などを問わず、誰もが「超人」のようなプレーを実現できるスポーツの総称です。

例えばAR(拡張現実)技術を用いて、光の球(「エナジーボール」)と盾(「バリア」)を駆使して戦う『HADO® 』 や、室内用バイクとVRを組み合わせ、バーチャル空間内で陣取りゲームを行う『スピリットオーバーフロー』など、さまざまな競技が存在します。

近年eスポーツ市場が急成長を遂げていますが、超人スポーツは、よりフィジカルな要素が強いeスポーツといってもよいかもしれません。

『HADO®』のプレーイメージ。3人一組のチームで対戦し、AR空間で「エナジーボール」を当て合い、相手の「ライフ」を削って得点を競う(画像提供:超人スポーツプロジェクト)

—「超人スポーツ」というアイデアは、どのようにして生まれたのでしょうか。

現在はオリンピックとパラリンピック、男性と女性など、競技のカテゴリーが分けられていますが、テクノロジーによって身体的な差異を減らすことができれば、区別せずとも誰でも平等に競い合えるのではないか。そんな発想から生まれました。

超人スポーツのように、テクノロジーをスポーツに応用するという発想は、情報革命の時代ならではともいえます。スポーツの歴史を遡ってみると、近代スポーツは、産業革命で肉体労働から解放され、余暇を持つようになった労働者階級の人々が、週末に体を使った競技を楽しむようになったことから発展してきました。

同じように、インターネットやAIなどの情報技術が急速に進化している現代では、情報処理の自動化・効率化が進み、「正確さ」などが問われる単純な認知労働は人間がやらなくてもよくなりました。それをエンターテインメントとして競い合う場として、eスポーツやロボコンのような新しい競技が生まれているのではないでしょうか。超人スポーツは、近代スポーツと情報革命期の技術的要素の両方が組み合わさった、さらに新しい形の競技といえるかもしれません。

いまあるスポーツを広げていくことももちろん大切ですが、超人スポーツのように、これからの社会にふさわしい新しいスポーツの形をいまから創っていくことは、次世代に伝えられる財産にもなると考えています。

  • ロボコン(ロボットコンテスト)…参加者が自作のロボットをチームまたは個人で製作し、決められた課題やルールに基づいてその機能やタイムを競う大会のこと。ロボットの重さやサイズ、操作方法、電源などに一定の制約があり、その中でいかに高い性能を発揮できるかが求められる

「スポーツへの苦手意識」が導いた、「人間拡張」と「身体自在化」の研究

—稲見さんが、テクノロジーとスポーツをかけ合わせた領域に目を向けるようになった、そもそものきっかけについてお聞かせください。

実は、私はスポーツが大の苦手だったんです。とにかく小さい頃から運動音痴で、「スポーツには一生近づかないように生きよう」とさえ誓っていたくらいでした。

転機となったのは、1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式。当時中学生だった私は、ロケットパックを背負った男性が会場を飛び回る姿をテレビで観て、非常に大きな感銘を受けたのです。

「運動が苦手だったとしても、テクノロジーの力を使えば空を飛ぶことさえもできるかもしれない」——そこから、生身の身体でできないことができるようになりたい、という想いが芽生え、自然とサイボーグ技術などにも興味を持つようになったんです。

そうして研究者となり、人間の身体能力や感覚をテクノロジーの力で強化し、超人的な身体能力・感覚を達成する「人間拡張」、さらには「身体の自在化」をテーマに研究を進めてきました。

—「身体の自在化」とは、どのような研究内容なのでしょうか。

「自在化」とは、テクノロジーによって拡張された能力を、自由自在に自分の意思でコントロールできる状態を指します。

現代はVRやARなどの技術が進み、リアルな物理空間とバーチャル空間の両方で活動できる時代となりました。

この研究では、自在化を通して、単に身体能力を拡張するだけでなく、2つの世界を行き来する時代における人間の「身体」のあり方を問い直しながら、コミュニケーションや表現活動の形を探り、人間の可能性を広げていくことを目指しています。

例えば、私たちが慶應大学と共同開発した「Fusion」というロボットがあります。これは、離れた場所にいる操作者とロボットアームの装着者が、まるで二人羽織のように“合体”して、同じ視点で空間を共有し、共同作業を行えるシステムです。ロボットアームを介して動作を教えることで、言葉だけでは困難な「身体の言語化」を可能にし、いままで伝達が難しかった動作なども伝えることができます。例を挙げると、子どもに靴紐の結び方を教えるとき、言葉で説明するより、手を取って一緒に結んであげた方が伝わりやすいですよね。

そんなふうに言葉にできない感覚を、Fusionを通じて身体で直接伝えることで、より効率的で深いコミュニケーションを生み出すことができるのです。

「身体の自在化」の研究の一環として開発された「Fusion」。左が操作者、右が装着者。離れたところから楽器やスポーツなどを教えることができる(画像提供:東京大学 稲見・門内研究室&KEIO MEDIA DESIGN)

—その「身体の自在化」とスポーツが、なぜ結びついたのでしょうか。

研究を進める中で、スポーツ科学分野の研究者やアスリートの方々から「人間拡張や身体自在化の技術を、トレーニングに応用できないか」と声を掛けられるようになったのです。

というのも、スポーツに関する技術も、長らく「目で盗む」ことが重要とされてきました。しかし目で盗めるのは身体の動きの軌跡だけで、力の入れ方や抜き方までは分かりません。“盗まれる側”の熟練者も、そうした加減を無意識に行っていることが多く、言語化されづらいものでした。

そこで、筋電センサーや触覚提示デバイスを使い、熟練者の動きをキャプチャして、力の入れ方やタイミングを選手の筋肉や触覚で直接感じ取れるようにする研究をはじめたところ、この技術がスポーツ指導においても効果的であるということが分かりました。

そこからテクノロジー×スポーツの研究を本格的に進めていた折、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が決定しました。これを機に、日本から世界に発信できるものはないか——そう考えたときに、自分がいま研究している技術を使って新しいスポーツを作ってみようというアイデアが生まれ、「超人スポーツ」の提唱へとつながっていきました。

「スポーツへの苦手意識」が、私が研究者を目指す遠因であったとはいえ、こうして研究を通じてスポーツと深く関わることになるとは、それまで想像もしていませんでした。

誰もが、自分の“コーヤコーヤ星”を見つけるために——「能力」のあり方とは

—そうしたテクノロジー×スポーツの研究に取り組む中で、何か気づきはありましたか。

「能力」というものの捉え方が大きく変わりました。

そのきっかけは、私自身が超人スポーツの競技の一つ『ホバークロス』(電動スクーターを使ったポロのような競技)の大会に出場し、生まれて初めて優勝したことです。

それまで私は「数学が得意」とか「スポーツが得意」といった能力は、個人の遺伝子や身体、あるいは努力によって決定される「個人の持ち物」だと思っていました。しかし、根っからスポーツが苦手なはずの私がスポーツの大会で優勝することができたという事実が、その認識を覆したんです。つまり、能力とは個人に帰属するものではなく、「個人と外部環境の関係性」の中に生じるものなのではないか、と気づいたのです。

『ホバークロス』…体重移動のみで操縦できる電動スクーターに乗った二人のプレーヤーがオフェンスとディフェンスに分かれ、フィールドの3つのゴールにボールを入れて得点を競う(画像提供:超人スポーツプロジェクト)

例えば、私はいま日本語で話していて、それなりの言語能力があるといえます。一方、アメリカに行けば英語で話すことが求められますが、ある程度は話せても流暢ではないので、私の言語能力は6割程度ということになるでしょう。もし中国なら、中国語を習得していないので、言語能力はほぼゼロです。つまり、私自身は変わらなくても、置かれた環境によって能力が大きく変化するわけです。

会社でも、ある部署で活躍していた人が、別の部署に行ったらうまく力を発揮できなくなることもありますよね。逆に、別の環境に移ったことで、才能が開花する場合もある。このように、能力とは単体で成立しているわけではなく、それを発揮できる「場」や「環境」とセットで初めて成り立つものなのです。

実は小学生のときから大好きな映画に『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』という作品があるのですが、そこに登場する「コーヤコーヤ星」では、重力が小さいので、地球上では運動音痴なのび太が、ものすごく高く飛べたり豪速球を投げられたりと大活躍するんです。まさに、「能力が個人と環境の関係性によって決まる」わけです。

私自身も、『ホバークロス』で優勝したとき、「ここが私の“コーヤコーヤ星”だったのか!」と思いました(笑)。

もちろん「置かれた場所で咲くために努力する」という考え方も大切だと思います。ただ、既存の環境やルールの中では力を発揮できなかった人が輝ける場所、すなわちその人にとっての“コーヤコーヤ星”は必ずありますし、そういった場を自ら作ることができるようになるかもしれない。超人スポーツの立ち上げを通じて、「誰もがそれぞれの能力を生かせる環境をどう作っていくか」を考えることの重要性を学びました。

「できた!」という感覚を創る。身体の拡張がもたらす“心”の自在化

—稲見さんは今後、どのようなことにチャレンジしていきたいとお考えですか。

現在は、身体の拡張が人間の心にどのような影響を与えるか、すなわち「心の自在化」に関心を持っています。

一例を挙げると、当研究室博士課程の学生がVR技術を使ってスローモーションでけん玉を練習するためのシステムを開発したんです。私のような運動音痴にとっては、現実世界でのけん玉練習はかなり難しく、何度も失敗を繰り返すうちにやる気がなくなってしまいます。しかしスローモーションの世界であれば、玉が非常にゆっくりと動き、何度も練習するうちにコツを掴むことができるようになります。そして徐々にVR空間内に流れる時間を現実世界の時間に近づけていけば、現実世界でもうまくけん玉ができるようになるんです。

実際に、この「けん玉VR」をシニアの女性に試してもらったところ、「生まれて初めてできるようになった!」と非常に喜んでくれました。

「何かができるようになった」という感覚は、人間にとっての本質的な喜びですし、「今日できないことが、明日はきっとできるようになる」と信じられることは、未来を明るくしてくれるはずです。AI時代に突入し、さまざまな思考や行為をAIが代替してくれるようになったとしても、成長の喜びは、置き換えることができません。

—テクノロジーによって「身体的にできること」が増えることで、心にもポジティブな作用がもたらされるのですね。

その通りです。人の心によい影響を与えることこそが、テクノロジーの本来の役割だと考えています。

「自分はできる」と信じてチャレンジをやめない限り、人は「できること」を増やしていける。テクノロジーにはそういった感情を喚起する役割もあるのだと思っています。

そうした挑戦の先にある、人間ならではの「できた!」という感覚をどのように設計していくか。それが、今後の大きな研究テーマになると考えています。特に、テクノロジーの応用が加速するスポーツ領域では、競技の勝ち負けだけではなく、挑戦する人の姿勢や努力そのものを応援したくなる「共感」の価値も、ますます重要になっていくのではないでしょうか。

これからも、超人スポーツをはじめとして、テクノロジーと人間が持つ「能力」の可能性を探求し、誰もがより自由で多様な形で生きることのできる未来を目指していきたいと思っています。

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