キャリアも人生も「自分らしく」歩むには? なでしこリーグ理事長・海堀 あゆみが女子サッカーを通じて目指す未来
2025年9月25日


元サッカー日本女子代表のゴールキーパーとして活躍した海堀 あゆみさん。2011年にドイツで開催されたワールドカップ決勝では、PK戦で2度相手のシュートを止め、日本女子サッカーの悲願だった初優勝に大きく貢献しました。
そんな海堀さんが引退後に選んだのは、リーグ運営の立場から女子サッカーという競技全体を支える道でした。今回は、海堀さんにこれまでの歩みを振り返っていただきながら、自分らしく夢を持って生きるためのヒントや女子サッカーを通じて実現したい未来についてお話を伺いました。
親友や恩師の言葉が、キャリアのターニングポイントに
― はじめに、サッカーとの出合いについて教えてください。

小学2年生で引っ越しをした時に、「お友達ができるように」と両親が男女混合のサッカーチームに入れてくれたことがきっかけです。当時は、将来サッカー選手として活躍することをイメージしていたわけではなく、放課後に学校の友達と一緒にボールを蹴るのが楽しくて続けていました。
中学進学後は小学生の頃お世話になった方が、日本女子サッカーリーグの「L・リーグ」(現:なでしこリーグ)に所属する「松下電器パナソニック バンビーナ」(現:スペランツァ大阪)の下部組織を見つけてきてくれて、そこに入りました。女子単独のチームは初めてで、「女子でもこんなにもレベルが高いんだ!」と驚いたことを覚えています。また、チームには中学生から大人まで在籍しており、普段から彼女たちに交じって練習をしていました。中学生の時から年上の選手たちによるレベルの高いプレーを間近で見ることができたのは、いま振り返ると良い経験になったと思います。
― レベルの高い選手たちとプレーすることで、ますますサッカーにのめり込んでいったのではないでしょうか。
そうですね、試合に出るためには高校生や大人たちとレギュラー争いをしなければならなかったので、「上手くなりたい」という一心で練習をしていました。その結果、少しずつ試合に出られるようになり、選抜チームにも選ばれるようになりました。その一方で、誰かに言われたわけでもないのに「上手くならないといけない」「勝たないといけない」と、自分自身にプレッシャーをかけるようになってしまい、徐々に心がついてこなくなってしまいました。結局、高校受験を機に、誰にも相談せずチームを離れることを決めました。

― 大きな決断を1人でされたのですね。チームを離れてから、他の場所でサッカーを続ける選択肢は考えませんでしたか。
サッカーはやめると決めていたので、考えませんでした。高校入学後は友人に誘われてテニス部に入ったのですが、自分にとっては新しい挑戦だったので、とても新鮮でした。チーム戦とは違って、自分がやった分だけそのまま自分に返ってくる個人競技の面白さと難しさを体感しましたし、試合の準備や進め方など、あらゆることを自分で戦略を立てて実践する大変さも学び、個人として戦うスキルが身についたと思います。同時に仲間の意味を前より理解できるようになり、これまでどれほど多くの人に支えられてきたのかを実感しました。
― その後、再びサッカーに戻ろうと思ったのはなぜでしょうか。
高校3年生になり、「卒業後は大学に進学しようかな」と考えていた時に、一緒にサッカーをしていた友人2人が「あゆにはサッカーしかない!戻るべきだよ」と何度も声を掛けてくれたんです。最初は断り続けていたのですが、最終的に友人たちの熱い想いに根負けする形で、もう一度サッカーの世界へ戻ることになりました。小中学生の時はフィールドプレーヤーだったのですが、以前所属していたチームに戻った後は、ゴールキーパーとしてスタートすることになりました。この2人がいなければサッカーに戻ることもなかったので、彼女たちには感謝の気持ちでいっぱいです。

― そこからは、どのような経緯を経て、日本代表に選ばれるに至ったのでしょうか。
大学進学という選択肢もあったのですが、「サッカーをやるからには周りのみんなに追いつきたい」という思いから進学はやめました。「学び直すことは後からできるかも」という思いもどこかにあったからかもしれません。卒業後は所属するチームで練習をしながら、恩師が教えている高校の男子サッカーの練習にも参加し、その合間にサッカースクールの手伝いやアルバイトをする日々でした。そうした中、2008年には、前年に所属チームがリーグの2部に落ちてしまったことや、北京オリンピックという大きなチャンスのタイミングだったこともあり、恩師に背中を押されて当時リーグの1部に所属していた「INAC神戸 レオネッサ」に移籍することになりました。
この頃、日本代表にも選ばれ、子どもたちやファン、スポンサーなど沢山の人の想いや期待を背負ってプレーすることの意味をより自覚するようになりました。応援される喜びを知り、自分のためだけでなく誰かのために戦うようになったことでサッカーとの向き合い方が大きく変わったように思います。
ワールドカップ優勝の歓喜とともに実感した、スポーツの本質的な価値
― 2011年のワールドカップでの優勝は、社会的にも大きなインパクトがありました。ご自身としては、当時の出来事をどう感じていましたか。
大会前は「なでしこジャパン」という言葉も、そもそも女子のワールドカップが開催されていることも多くの人に知られておらず、ファンも報道陣もいない静かな雰囲気で日本を出発しました。ただ、現地で勝ち進むうちに「日本で話題になっているよ」といった声が聞こえてきてはいました。当時はスマートフォンやSNSもそこまで浸透していなかったので、その反響の大きさを目の当たりにしたのは帰国後でしたが―。
2011年は東日本大震災が発生した年でもあったので、色々な想いを持って参加しましたが、「応援の力」を強く感じた大会でした。皆さんの応援が最後の一歩を後押ししてくれたと思っていますし、特に決勝戦は自分たちだけの力ではなく、いままで女子サッカーを支えてくれた人たちや日本中、そして世界中からの想いが重なったような、目に見えない不思議な感覚があったのを覚えています。

いまでも「あの時、元気をもらいました」と言っていただくことがありますが、私自身も皆さんの応援にずっと支えられてきました。この経験から「単なる勝ち負けの結果だけではなく、そこから人とのつながりや、お互いを思いやる気持ちが生まれること」がスポーツの持つ力なのだと教えてもらった気がします。
― 優勝という大きな成果のあと、次に掲げた目標はどんなものでしたか。
直後にオリンピックの予選があったので気持ちは切り替えていましたが、「結果を出せば、こんなにも国内外から注目される」ということを経験した分、プレッシャーも強く感じましたね。リーグでプレーする中でも上に立ち続ける難しさを知り、「最強のゴールキーパーになる」といった自分なりの新しい目標を立てました。チーム内の最後の砦であり、私が全てを止めれば、仲間のミスも帳消しにできるキーパーというポジションにとても魅力を感じていたことも「その中で最強になりたい」と思った大きな理由です。
引退後、将来のヒントをもらいに大学進学の道へ
― 2015年に現役を引退された当時のことを振り返っていただけますか。
引退の背景には、ある時期から目に不調が出てきてしまったことがあります。原因が分からない中でプレーしていたため、引退前の数年間は、「サッカーをもう続けられないのかな」と不安を抱えながらも、「次のワールドカップでは頑張ろう」とその不調を周囲に隠しながらプレーしていました。幸い腕の良いドクターに出会って、手術により状態は改善しましたが、目から受け取る情報が変わってしまったことで、身体のバランスも変わってしまいました。「ここからもう一度自分を高めるには何年もかかるな」と感じた上に、手術までの数年間の消耗も激しかったため、自分を高めるパワーも残っていませんでした。いま考えると休養という形もあったのかもしれませんが、当時はその考えはなく、ここで引退することを決めました。思い返すと色々ありましたが、できることは全てやり切ったと思っていたので、すっきりとした気持ちでしたね。
― 引退後は、慶應義塾大学に進学されていますね。進学の背景にはどんな想いがあったのでしょうか。
引退ぎりぎりまで身体の状態を整えていたこともあり、次の具体的なキャリアプランを考える余裕はありませんでした。そんな時、知り合いから「大学へ行ってみたら?」と声を掛けられ、実際に大学の卒業生と会ってみたところ、その輝いている姿に心を動かされました。「ここに行けば、何かヒントが得られるかもしれない」。そう思い、慶應義塾大学総合政策学部へ進学することにしました。
大学では、語学やプログラミングなどの必修科目に加え、サッカーに関係していそうなものや、スポーツの発展に役に立ちそうなもの、いままで知らなかったものなど幅広く受講しました。それらを通して、感覚的にやってきたことを言語化する力や、さまざまな角度からスポーツや女子サッカーを見る視点を培うことができたと感じています。
女子サッカーを通じて、多様な生き方・働き方があることを伝えたい
― その後、さまざまな活動を通して女子サッカーの魅力について発信されていますが、そもそも女子サッカーの普及や発展に関わるようになった背景を教えてください。
きっかけとなったのは「女子サッカーをブームではなく文化にしていけるように」という元サッカー日本女子代表・宮間 あやさんの言葉です。この言葉が強く心に残り、「文化にするってなんだろう?」と女子サッカーの競技自体について深く考えるようになりました。
引退してから全国各地でイベントや講演、チームづくりなどさまざまなお仕事をさせていただいたことも理由の1つです。元々全国的に女の子たちが中学生になったタイミングでサッカーをやめてしまうという課題がありますが、特に地方では環境が整っておらず、続けたくても続けられない、やりたかったけどできなかった、といった声を耳にする機会が多くありました。
そうした自身の経験や現場の声が「女子サッカーを続けられる環境を作っていきたい」という想いや活動につながっていると思います。加えて、女の子のゴールキーパーの普及についても何か取り組めたらと思っています。

― 現在は、なでしこリーグの理事長としてもご活躍されています。どのような想いを抱きながら、日々の活動に取り組んでいるのでしょうか。
今回理事長という立場で改めてなでしこリーグに関わることになり、このリーグの意義や魅力を再認識しています。
例えば、なでしこリーグは地域リーグの最高峰として各地に24のチームがあるので、全国的な女子サッカーの普及、発展において果たしている役割は大きいと感じています。一方で競技と並行して、これまでにリーグが大切にしてきた各チームの地域貢献活動にも注目してもらいたいと思っています。
またリーグには、仕事や学業と両立しながら競技を続けている選手が多く在籍しています。「やりたいこと」と仕事を両立する彼女たちは、自分らしい働き方や生き方を考えるためのロールモデルのような存在にもなれると思っています。ぜひピッチの外で活躍している姿にも注目し、皆さんならではのチームや選手の魅力を見つけながら応援してもらえると嬉しいです。
― 今後、活動を通して伝えていきたいこと、実現していきたいことを教えてください。
チームや選手、OG含めかつてリーグに関わった多くの人たちの想いが詰まったビジョン・ステートメントを体現していくことが、私の今後の目標です。なでしこリーグは今年で36年目を迎えましたが、ここに書かれている「性別や年齢に関係なく、生涯を通じて自分が選んだことを続けられる未来」を目指して、これまでの女子サッカーの歴史や絆とともに前進していきたいです。
さらには、女子サッカーを通じて一人でも笑顔になれる環境があると嬉しいですね。小さな笑顔の輪を広げることが、結果的に社会や世界を少しずつ豊かにしていくはずだと信じています。女子サッカーに限らず、あらゆる分野で一人ひとりが輝ける社会を目指して、これからもさまざまな活動に取り組んでいきたいですね。
― 最後に「自分らしい夢の持ち方が分からない」と悩んでいる方に向けて、一歩踏み出すためのヒントやメッセージをいただけますか。

何かを変えることはとても勇気がいりますが、学び直しやキャリアの転換など、自分の生き方を変えるタイミングは、いつからでも遅くないと思います。毎日できることを少しずつ積み上げることも大切ですが、ふと立ち止まってみることも同じくらい重要です。私の場合は、その時の自分の気持ちに合った飲み物をいれる時間を通して、「今日はどんな気分?」と自分と会話するようにしています。そんな少しの時間でも、自分のことを知る手がかりになります。
また、普段やらないことをやったり、新しい人と会ったりして、身近なところから環境を変えてみるのもいいと思います。私は大学で年代の違う人たちや、サッカーとは関係のない分野の人たちと関わり、新たな視点や価値観に出合ったことが、いまでも自分の中で大きな財産になっています。
日々目の前のことで必死になりがちですが、このように丁寧に自分自身の気持ちと向き合ってみたり、いつもとは違う場所や人の中で過ごしてみたりして、理想の自分や本当にやりたかったことを思い出すだけでも、何かが動き出すきっかけになるかもしれません。小さなことでも大丈夫です。その積み重ねが、次の一歩にきっとつながるはずです。
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